音楽と匂いは免疫力を高める

 調香師: 森 日南雄   (2021.11.9.)

 

 いささか、旧聞に属しますが、オックスフォード大学医学博士の新見正則氏が、マウスの心臓移植の実験をしている時に、音楽を聴かせたら生存期間が大幅に延びたという研究で2013年のイグノーベル医学賞を受賞したことが話題になりました。この話は、昨年の文藝春秋の新春号で、作家の塩野七生氏と新見氏の対談でも取り上げられ、昨今の健康オタクの風潮を揶揄した内容で、たいへん愉快で面白く読みました。因みに、この対談の見出しは、<日本人よ、「健康神話」を棄てよ>でした。

 

 

 

 

 

 

実験で聴かせたヴェルディのオペラ「椿姫」

(ゲオログ・ショルティ指揮、歌手はアンジェラ・ゲオルギュー)

 

椿姫」は長生きの秘訣・・(聴覚で免疫力UP)

 

  実験の内容は、「通常、心臓移植したマウスは免疫の拒絶反応により、平均で7日間しか生きられないが、例えば、ヴェルディのオペラ「椿姫」を聴かせると平均で40日間生き、100日間生きたマウスもいたとか、モーツアルトも平均20日間と長かった。

アイルランドの歌手エンヤは11日間、ところが、石川さゆりの津軽海峡冬景色や尺八の音楽は効かなかった。英会話、工事現場の音、単純な周波数音なども同様、効果がなく、繰り返し実験をやっても結果は同じだった」という大変興味ある結果です。英国育ちのマウスはユーモアを解するのでは?と疑りたくなりますね。

 

また、音楽のジャンルにより結果が違うのも興味ありますが、それはさておき、この結果について新見博士は「我々の体の中でガン細胞は常にできているが、免疫を制御する細胞もできており、これがガン細胞を退治している。この免疫制御細胞の働きに、ある種の音楽がプラスの効果を持っていることを示している」と述べています。


 

 

音楽だけではなく「匂い」も効果・・(嗅覚で免疫力UP)

 

 さらに、音楽だけではなく「匂い」も効果があるとか。

 ある漢方薬(当帰芍薬散(  トウキシャクヤクサン))の匂いを嗅がせたマウスは40~50日間も生きた。一方、柴玲湯(サイレイトウ)の匂いには効果がなく、内服した場合は40日間も延命した。この結果は、ある種の匂いも脳を介して免疫系に良い影響を与えていると言えるでしょう。

ついでながら、この二つの漢方薬の違いですが、成分上、匂いの観点から面白いことに気付きました。以下、あくまで調香師としての興味本意から調べたことで、前述の実験結果とは直接関係ありませんので、予めご承知おきください。

 

 

 

 


 

 当帰芍薬散は、血行を良くし、体を温めて、冷え性や痛みを改善する漢方で、一般的に婦人病薬として古くから用いられています。成分は(当帰(トウキ)、川きゅう( センキュウ)、芍薬(シャクヤク)、茯苓(ブクリョウ)、蒼朮(ソウジュツ)、沢瀉(タクシャ))の6種の生薬が配合されています。

このうち、当帰と川きゅうは何れもセリ科の植物で、乾燥した根茎を原料とします。独特の強い匂いを有しています。

 

 柴苓湯は体の免疫反応を調整し、炎症を和らげる働きがある漢方薬で、12種の生薬が配合されています。しかし、これには当帰と川きゅうは入っていません。前述の当帰芍薬散の匂いがマウスを延命させた要因はこの二つの生薬が寄与しているのではないかと思い、早速、煎じ用生薬の原末を取り寄せて嗅いでみました。川きゅうはCeleriax(IFF)を想起させるセロリのような芳ばしい甘い匂いが非常に強く、当帰はやや弱く、似た甘さにハーブ感が加わった匂いでした。他の4種もそれぞれ特有の匂いがありますが、それほど強くは感じられませんでした。念のため、新見博士の当時の発表文献(要旨)に当たったところ、それぞれの生薬の組み合わせを作り、内服による試験をした結果「芍薬と川きゅう」の組み合わせが最も効果があった、との報告がありますが、生薬個々の匂いだけに着目しての結果はありません。もし、試験したら違う結果になるかもしれません。以前、当協会で『漢方薬と香り』と題して東邦大学(当時)の佐藤忠章先生に講演頂いた時、漢方薬における香りの重要性を再認識したことが思い出され、この分野での更なる研究が待ち望まれます。

 

生薬と関係が深い、調香師が使う天然精油

 

 結果はともあれ、折角ですから、この生薬と関係が深い我々調香師が使う次の天然精油をご紹介しましょう。

 

 当帰はセリ科シシウド属、学名はAngelica aculiboba ですが、我々調香師が使うアンジェリカルートオイルは同じ仲間で、学名はAngelica archangelica 、西洋当帰とも呼ばれ、根茎を水蒸気蒸留して得られる精油です。ムスク化合物Cyclopentadecanolieなどのラクトン類を含む精油としても良く知られています。アロマティックムスキーでクマリン様の匂いがします。学名のAngelica という名前の通り、昔から「天使のハーブ」と呼ばれ万能薬として使われている薬草です。

 

 川きゅうはセリ科ハマゼリ属、学名Oncidium officinaleです。フレグランスの原料として使われるロベージオイル(Lovage oil)はセリ科レビス

ティクム属、学名Levisticum officinale、「山のセロリ」とも呼ばれ、川きゅうに似た甘い、スパイシーな非常に強い匂いです。主成分はLigustilideなどのラクトン類。オリエンタル、ヘビーフローラル調に使われます。この二つの精油は頻繁に使うものではありませんが、非常に個性的な強い匂いなので少量でも効果を発揮し、フレグランスにオリジナリティを与えてくれます。このように、これらは、洋の東西を問わず古くから使われている有用な薬草であることがお分かりになると思います。

 

目に見えない「音楽と匂い(香り)」は免疫力UPで健康長寿に貢献

 

 さて、話が少し逸れますが、世界を震撼させている新型コロナウイルスの感染は、日本では下火になりつつあるものの、世界を見渡せば、まだ収束の兆しは見えていません。このような中で、感染しても、無症状の人、軽く済む人や重症化する人の違いはどこにあるのでしょうか。

 

 いろいろな説が唱えられていますが、究極のところ、自身がもつ免疫力の違いにあるようです。近年の研究で、細胞内の「人体のエネルギー工場」と言われるミトコンドリアがその鍵を握っていることが分かってきました。人体の細胞数はおよそ37兆個と言われ、その細胞一つ一つに、数百数千個のミトコンドリアが含まれており、その総数や天文学的な数になります。このミトコンドリアの働きを促すには、その一つ一つに含まれる補酵素と呼ばれるコエンザイムQ10( CoQ10)が重要な役割を担っています。この量が加齢とともに減少すると細胞が免疫老化を起こし、病気に罹りやすくなるのです。この老化を予防するには、CoQ10を多く含む食物、例えば、ブロッコリー、青魚、肉類、ナッツ類などを摂るとか、早歩きとゆっくり歩きを交互に行う、インターバルウオーキングなどの運動をするとか、あるいは、我々調香師が使う免疫賦活作用があると言われるティートリー、ラベンダー、ユーカリ、ローズマリーなど天然精油の香りを嗅ぐとか、諸説いろいろありますが、試してみる価値はあるでしょう。

 いささか養生訓めいてしまいましたが、新型コロナに限らず、病気を予防するには詰まるところ人間が本来持っている免疫力を高めることが肝心です。これを機に、新見博士の研究で明らかになった、目に見えない「音楽と匂い(香り)」の効果を再認識し、日常生活に意識して取り入れ、ミトコンドリアを活性化させて免疫力を高めましょう!