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グラス便り 3章

グラス便り 3章 研修生-その1

 

 

  エルメスの香水を作った亀井さん  

 

 

 グラスが日本の香料産業に残した貢献はとても大きなものがあり、私が初めてグラスに来た1973年夏には日本人の研修生がグラスに10人近くいました。あの頃グラスに居た日本人は全て香料の技術を学ぶために来ていましたが、大きく二つのグループに分かれます。

 

 その第一は香料会社から派遣されてグラスで香料の研修に来ている人達。当時の研修生はまず海外の生活に慣れること、語学を勉強することから始めますので研修期間が長く、今では考えられないですが、最低3ヶ月、1年以上という研修もざらにありました。

 

 もうひとつのグループは日本の会社を辞めて自費でグラスに来て研修する人達。こちらのグループは会社の後押しも何もないのでその分必死になって勉強していたように覚えています。例えばエルメスの香水を作った亀井さん、また、アメリカのアヴェダの主任調香師になった塩澤さん、ヘンケルのパヒューマーになった島崎さんなどがいらっしゃいます。

 


 

 本当に当時グラスに来る日本人は香料関係以外になく、町の通りを見かけない日本人らしい人が歩いているとすぐにわれわれ研修生の間で評判になり、「香料会社か?それとも化粧品会社?本当に日本人?」などと噂しあったものでした。

 

 グラスへの日本人研修生の流れは1960年代後半から本格的に始まり、70年代に最盛期を向かえ、その後80年代に入って段々少なくなり、90年代には殆どなくなりました。これはひとつには日本の調合技術が欧米並みになり、国内で技術を十分教育できるようになったこと、調合品中の天然物の量がどんどん減ったこと、グラスの香料会社が研修生を受け入れるほどの余裕がなくなってきたことなどが挙げられると思います。それまではグラスの各社に引退した調香師をとどめて研修生に調合技術を教えるだけ企業にも余裕があり、また、使い方の難しい天然香料を香料生産の現地で覚えることは日本企業にとっても意味のあることでした。

 

   

  グラスのカテドラルを中心とした街並み


ジャスミン畑での収穫 今昔