五感における香りⅡ

調香師 佐野 孝太(2015.8.)

 

 五感における香り(その1)をコラムに掲載してから、かなりの月日が経過してしまいましたが、五感における香り(その2)をお届けします。

「その1」では、五感による外界からの情報入手、安全に生活するための香りの役割などについて紹介しましたが、今回は五感によるコミュニケーションについて考えてみましょう。

 

現代人のコミュニケーション

 

 高次の脳を持っているヒトは、コミュニケーションに非常に大きな力を発揮する「言語」というツールを持っています。その結果、現代人のコミュニケーションは、大きく視覚、聴覚に偏るようになりました。例えば、私は今、香りに興味のあるインターネットユーザーに向けてコラム情報を伝えるべく、言語を介してユーザーの視覚に訴えかけた情報発信を行っています。

 

 このように視覚、聴覚はメディアを介したコミュニケーションに適しており、事柄を正確に伝達する目的のみならず、音楽、小説、映画など、ヒトの心に訴えるコミュニケーションとしても、非常に重要で有効な手段です。

 

心の深部に訴える感覚

 

 しかし一方で、視聴覚のコミュニケーション手段を絶たれた場合には、着物に焚きしめた香りで想いを伝えるなど、嗅覚を介したコミュニケーションが浮上することがあります。また現代でも、握手、抱擁(ハグ)などの触覚を介したコミュニケーションが大きな意味を持つ場面も少なくありません。このように、時には視覚、聴覚以外の感覚を介したコミュニケーションが、心の深い部分に訴えかける力を持っていることに驚きます。

 

 例えば、今は亡き母親が残してくれたメッセージとして、病気の時に決まって作ってくれた薄い野菜スープの味(味覚)から感じる慈愛、書道家だった母親が毎日のように磨っていた墨の香り(嗅覚)から感じる誠実などは、時間によって色褪せることなく、自分が形成される過程で大きな意味を持っていたと感じるのです。

 

心へメッセージを届ける嗅覚によるコミュニケーション

 

 このような観点からみると、20世紀に発売された多くの香水が、嗅覚を介して様々なメッセージを伝えようとしていたことに気付きます。

 

 アールヌーヴォーの思想が込められたFOUGERE ROYAL(1882)、JICKY(1889)

 アバンギャルドを表現したCHYPRE (1917)、MITSOUKO (1919)

 女性の解放を意図したCHANEL NO5 (1921)、ARPEGE (1927)

 世界恐慌や戦争後に平和を願うメッセージが込められたJOY (1935)、FEMME (1944)、L'AIR DU TEMPS (1948)

 女性の自立を表現したCHANEL NO19 (1970)、ALLIAGE (1972)

 自然志向に対応したANAIS ANAIS (1979)、CHLOE (1975)

 性の解放を唱えたPOISON (1985)、OBSESSION (1985)

 その反動として家庭愛、夫婦愛、自己回帰などが尊重されたETERNITY (1988)、KENZO (1988)

 

 視覚、聴覚に比べると容易ではありませんが、嗅覚によるコミュニケーションもまた奥が深くて素敵ですね。