原料について「ニトロムスク(1)」

 

調香師 和智 進一 (2015.6.27.)

 

 香水に使用される合成香料について述べる時に、ニトロムスク程興味を持たれる化合物はない。産業革命ののち、19世紀後半から20世紀初頭にかけて合成技術が発達し香料工業という新しい産業が誕生し、多くの合成香料が開発された。

 

ニトロムスク以前に合成された香料の代表例

 

 開発の歴史に少し触れながら、ニトロムスク開発の面白さを述べていきたい。

 まずニトロムスク以前に合成された香料の代表例と年度を挙げると、Coumarin(1868)、Heliotropin(1869)、Vanillin(1874)、Terpineol(1885)があるが、これらはみな天然香料の主成分である。当時の技術でも容易に純度の高い物質が単離され、同定分析することができたためである。

  このような合成技術発展の流れの中でFougere Royal(Houbigant)1882年、 Jicky(Guerlain)1889年に始まる香水産業の黎明期を迎えた。

 

自然界に存在しないニトロムスク

 

 20世紀に入り、多くの名香が創香されたが、ここで非常に興味深いのがニトロムスクである。

 ニトロムスクはそもそも自然界に存在しない。

 なぜ存在しない物質を合成し香料に使用したのであろうか?

 その当時現在のような香料化学はないのに。

 

 ここで突然ですが、ノーベルを思い出していただきたい。ダイナマイトのノーベルです。当時ダイナマイトの原料のTNT(Trinitro Toluene)(I)の改良研究をAlbert Baurが行っていた。そこで偶然できたのがBaur Musk(II)と呼ばれるもので、TNTにt-Butyl基を導入したものである。

 この物質は爆薬としては価値がなかったが、香料のムスクとして価値のあるものであった。

 このムスクからさらに香料として価値の高いMusk Xylene(III)とMusk Ketone(IV)が合成された。

 構造式を見ていただけば一目瞭然であるが、みなよく似た構造をしている。(従って、ニトロムスクには爆発性がある。)

 

 この手の逸話もよくある例で、爆薬の合成には失敗したが、ただでは起き上がらず“香り”に気付いた人こそ偉い。香水発展の救世主。

そのおかげで20世紀の華やかな香水文化へとつながっていった。

 

 

 

天然のムスコンとは違う化学構造

 

 天然ムスクの成分ムスコンに対し、合成ムスクは大きく分けて3種になるが、ニトロムスクは最も歴史が古い。

 そしてその持続性ばかりでなく、甘くパウダリーなかおりが長年にわたり香水やその他のアプリケーションに使用されてきた。しかし天然のムスコンとは似ても似つかない化学構造を持っている。

 

 次回はムスクの香りと構造について述べてみたい。