日本人にみる嗅覚の原点

 

調香師 島崎 直樹(2013.2.)

 

馨り染み入る森の正宮

 

 全国に約八万の神社があり、その中で三重県伊勢市の伊勢神宮は、古くから「お伊勢さん」として親しまれてきた。参道の、宝永四年創業の店「赤福」が今でもかまどに薪をくべ湯を沸かし、ほうじたての香ばしい茶を入れている。赤福もちは、ほのかな小豆のにおいと甘みで、旅の疲れを忘れさせてくれる。

 

 わが国の古代からの宗教では、森が神の住む世界であった。

伊勢神宮でも参拝者は俗界と聖界のかけ橋とされる宇治橋を渡り、森の中にある正宮を目指す。

うっそうとした杉木立の葉が擦れ合う音を聞きながら、玉砂利を踏みしめる。参拝の前に御手洗を五十鈴川でする。石畳を下り、川に手を浸し清らかな香り水ですすぐ。

 

 水は本来、無味無臭であるが、神路山の原生林を流れてきた川は、自然のふくいくたる芳香をたっぷりと含んでいる。歩を進めると、次第に空気が清浄されていくのを嗅覚で感じ、全身が自然の香気に包まれる。いわゆる「森林浴」で、古代の人は経験的に知っていたのである。

 

 木々の発散する「フィトンチッド」と呼ばれる、殺菌効果のあるアルファピネンやリモネンという物質が、人間の生理に非常に良い効果をもたらす。特に血圧が下がり、心が落ち着き精神が安定する。五感すべてが、心地よく自然に刺激される。

 

 伊勢神宮では二十年に一度神殿を建て替え、大神にお遷り願う式年遷宮が、まさに平成二十五年の今年に斎行される。これは奈良時代より千三百年のながきにわたって継承されてきた伝統である。理由は諸説あり、建築技術の伝承というのが有力であるが、社がみずみずしく、神々しい芳香を漂わすように、新しいヒノキ材で新宮にするのではないかと想像する。

 

 雨上がりの内宮、古殿地からみえる正宮は強く馨り、心に染み入る。