パスティス(Pastis)の香り

調香師 佐野 孝太(2021.6.29.)

 

私は体質的にほとんどお酒が飲めないのですが、一方でワインやシードルなどの果実酒、ラム、ブランデーなどの蒸留酒、そしてリキュール…、お酒の香りがとても好きで、またとても興味があります。

 

 リキュールの香りに興味を持つようになったのは、グラースでの調香研修中のことでした。フランスでは食事の前にアペリティフ(食前酒)を楽しむ習慣がありますが、南フランスでは特に「パスティス」と「キール」がポピュラーで、いずれも非常に特徴ある香りを持っています。

今回はグラースで研修経験のある調香師なら、必ずと言って良いほど記憶している「パスティス」の香りについてです。

 

 パスティス(PASTIS)はアニスの香りが特徴のフランスのリキュールです。香草、香辛料の種類や組み合わせによって様々な種類のパスティスがあるようですが、スターアニス、フェンネル、リコリスが必須の原料です。

 リコリスは甘草(かんぞう)のことで、古くから多くの漢方薬に配合されている生薬です。文字通り非常に甘い成分(グリチルリチン酸)を含有しているため、甘味料として幅広く使用されていますが、香りはそれほど強くないので、パスティスの香りに大きく影響しているのはスターアニスとフェンネルであることが分かります。

 

 


 

 

 スターアニスはトウシキミ、八角(はっかく)、大茴香(だいういきょう)とも呼ばれ、八角形の特徴ある形状の果実は乾燥して中華料理などで汎用されます。また生薬としても芳香性健胃薬などとして使用されます。香料用途としては果実からスターアニスオイルが抽出されますが、精油中に約80%前後含有されるアネトールが主成分です。

 

 

 

 フェンネルは茴香(ういきょう)、小茴香(しょうういきょう)とも呼ばれ、乾燥した種子やフレッシュな葉が魚料理などに使用されます。香料用途としては種子からフェンネルオイルが抽出されますが、こちらも精油中に約70~80%前後含有されるアネトールが主成分です。


 日本薬局方では大茴香(だいういきょう)から抽出した精油(=スターアニスオイル)も茴香(ういきょう)から抽出した精油(=フェンネルオイル)、どちらもウイキョウ油として区別していませんが、私たち調香師はこの2つの精油を異なる香りの原料として区別しています。さらに以前はスイートフェンネルとビターフェンネルも使い分けられていましたが、現在ではビターフェンネルはほとんど使用されなくなっています。改めてスターアニスオイルとフェンネルオイルを嗅ぎ比べてみると、スターアニスオイルの方が甘くフローラルで、フェンネルオイルの方がクールでハーバルな要素が強いことが分かります。これは主にフェンネルオイルに含まれるフェンコンによる影響と思われます。 

 余談になりますが、前述のとおりスターアニスは「トウシキミ」とも呼ばれ、植物学的にはお寺や墓地によく植えられ、仏事にも用いられる「シキミ」と近縁の植物です。しかし、トウシキミ(スターアニス)の果実が料理に使用されるのに対して、シキミは植物全体が有毒で特に果実は猛毒のため、「毒物及び劇物取締法」で「劇物」に指定されているほどです。果実の形状も類似しているので注意が必要ですが、トウシキミ(スターアニス)の果実はアネトールの匂いがするのに対して、シキミの果実はシネオール、サフロールの匂いがするので、調香師が誤食することはなさそうですね。

 研修中に水で割って白く濁ったパスティスを初めて飲んだのがカンヌの港が見えるレストランだったためか、アネトールの香りは私に海を連想させてくれます。この経験はマリンノートを表現する時に、CALONEに少量のフェンネルオイルを加えるヒントとなりました。