その後の丁子風炉の調査研究と日本の香料文化と T

「丁子風炉(風呂)と丁子について」というテーマで日本調香技術普及協会のコラム(2014年11月)に記載させていただいてから3年近くの月日が流れました。    

今回二回に亘って、その後の丁子風炉の調査研究による知見とこれからの日本の香料文化を考えてみたいと思います。

元 ポーラ化成工業(株)研究所 佐藤 孝  (2017.09.16)

丁子風炉が多く作られた地域と一番古い記録

丁子風炉がどういうものか、使用法等は前回のコラムを参照して下さい。当初、便所(雪隠:せっちん、厠:かわや)の臭い消しに用いられたとあり、天皇、宮家、公家、大名、藩主、武家、大奥、僧侶、尼僧等が使用したと思われます。更に、今までの丁子風炉を見てきますと当初は匂釜(においがま)、丁子釜とか丁子香炉と言うような言い方も見えます。1680(延宝8)年には金属の匂釜という釜を使用した記録も出てきます。すでに17世紀には存在していたことになりますが、これはあくまで金属製ものと推測されます。陶磁器製の丁字風炉は日本の各地で作られていますが、中でも多く作られた地域となると京焼(京都)、薩摩焼(鹿児島)、壺屋焼(沖縄)等で、陶磁器製の古い記録を見ると、京焼では18世紀中頃が現在の定説になっています。薩摩焼では1764(宝暦14)年、島津重豪(しまづしげひで)が将軍家から嫁いできた竹姫(後に浄岸院)や竹姫の娘で福岡藩主黒田家へ嫁いだ菊姫、重豪の奥方の実家一橋家などに贈られている記録があります。沖縄では、琉球陶器の来た道』(沖縄県立博物館・美術館X那覇市立壺屋焼物博物館 合同企画展 2012)の図録の「琉球窯業史文化年表」には、1737年に、御所院所用の器具として「大丁子風呂(炉)」を製作した記録が記載されています。これらの記録は現存するものの中で最古のものですから、最初に作られた記録はこれよりも遡る事が推測されますが、誰が最初に作ったのか、誰が最初に使ったのかという記録を発見するのは至難の業です。

最近見つけた丁子風炉の記録

金属製の丁子風炉からどのような変遷で陶磁器でも作られるようになったかはよく分かりませんが陶磁器製、金属製のものも江戸期から明治期頃まで作られています。 便所の臭い消しといわれていたものが、幕末になると武家の風習として、女性の調度品や婚礼道具として使用されている記録があります。最近見つけた記録では、文化6(1809)年、藩の財政を再建したことで有名な、出羽国米沢藩第9代藩主、上杉鷹山(うえすぎようざん:以後鷹山と記す)の姪にあたる、三(参)姫が米沢藩第11代藩主上杉斉定(なりさだ)の正室として縁組のため江戸に行く際に鷹山公よりお餞別として、『「銀丁子風炉」、「獅子香炉」、机文箱へ「老いが心」と題する御文を進ぜられる』と書かれています。鷹山が59歳の時です。元アメリカ合衆国第35代大統領J.F.ケネディ氏にも影響を与えたと言われていますが、あの倹約家の鷹山でも姪の嫁入りには高価な餞別を贈っているところを見ると、可愛い姪の為なのか、一族の婚礼は特別の事だったのかと色々と推測されます。鷹山の別の一面を垣間見る事ができます。(『標註鷹山公子女訓』)また、時代は明治になりますが、1884(明治16)年、第11代佐賀藩主鍋島直大(なおひろ)の長女朗子(さえこ)と加賀金沢藩主14代前田利嗣(としつぐ:侯爵)の婚礼の際に鍋島家より磁器製と金属製の丁子風炉が前田家に婚礼道具として贈られています。この磁器製の丁子風炉が納められている箱には、「大河内山(おおこうちやま)焼錦手(にしきで)御丁子風呂」と書かれています。あくまでも推測の域は出ませんが、本来なら江戸期においては鍋島藩の藩窯で鍋島焼と箱に記すところですが、明治期になって藩が無くなり鍋島焼と明記することができずに、藩で焼かれた窯があった大河内窯の名が書かれているのでないかと思ってしまいます。 その当時の状況を察し、一抹の悲しさを感じるのは筆者だけでしょうか。しかし、それには屈せず新時代になり、これからは海外に磁器の輸出を始めようとしていた時代と相まって絵付けも海外の花柄模様が描かれ、和(日本古来)の絵柄の亀甲文(きっこうもん)等と折衷になっているところにこの丁子風炉の面白さがあります。現在、金沢市の成巽閣(せいそんかく)に収蔵されています。(画像を参照)このように幕末から明治にかけて、女性の婚礼道具としても使用されるようになった事が、その当時の婚礼道具集の丁子風炉の図からも分かります。

鍋島金属製.JPG

海外の美術館に見られる日本の丁子風炉

日本の丁子風炉が海外の美術館に収蔵されていることに驚きを感じます。米国ニューヨーク州のメトロポリタン美術館には6個の丁子風炉(陶器、磁器製)の画像が確認できました。平戸焼(長崎)、京焼(京都)等です。同じく、米国ボストン(マサチューセッツ州)美術館には4個(陶器製)が確認できました。薩摩焼のものと京焼のものです。これら米国のものは江戸期に作られたものです。因みに、美術館のホームページから「Clove boiler」で検索することができます。また、独国のハンブルグ美術工芸美術館(MKG)には、明治期に製造された金属製の橘文丁子風炉が収蔵されています。まだ探せば外国の美術館、博物館には収蔵されているかもしれません。またコレクターが持っている可能性もあるかもしれません。日本ではどうかといいますと、沖縄では県立博物館、那覇市立壺屋焼物博物館等が収蔵しています。鹿児島市内、指宿市内の美術館、博物館では12個の丁子風炉が確認できました。京都では現在のところ調査の途中ですが、国立博物館、文化歴史博物館、市立美術館では収蔵がありません。また、京都の場合は個人コレクターが収蔵していることが推測されます。今のところ唯一、常設展示で丁子風炉が見学できるのは京セラ本社(京都・伏見)の2階にあるファインセラミック館です。ここには京焼の逸品のものがあるので、ご興味のある方は是非ご覧いただきたいと思います。東京では数ヶ所の美術館が収蔵していますが、常設展示はないので常に丁子風炉の展示がある企画展はないか、いつもチェックしています。     

どちらの場所でも一度展示の確認をしてから行くことをお勧めします。

 次回に、つづく

伊万里焼製丁子風炉

伊万里焼き.JPG