ヴィネグレットと香料について

今回は携帯用気付け薬とも言ったらよいでしょうか、ヴィネグレットについて述べてみたいと思います。 

元 ポーラ化成工業(株)研究所 佐藤 孝 (2016.2.14)

ヴィネグレット (Vinaigrette) とは

ランビキ、丁子風炉に引き続き、今回は西洋のヴィネグレットについてご紹介します。

ヴィネグレットというとフランス料理に出てくる一般的なサラダドレッシングでフレンチドレッシングと呼ばれているものが一般的です。を1:3の割合でよく混ぜ、胡椒で調味したもの。酢の代わりにレモン汁を用いても美味です。アメリカで生まれた「フレンチドレッシング」(French dressing)はヴィネグレットに砂糖またはケチャップを混ぜたものであり、フランスでは見られないということです。しかし、今回ご紹介するのは同じヴィネグレットと呼ばれていますが、気付け薬、嗅ぎ瓶を意味するヴィネグレットです。

ヴィネグレットとは、本来、酢を意味する仏語ヴィネーグル(Vinaigre)からの、派生語です。

使用の仕方と背景

19世紀、西洋の貴婦人は舞踏会の最中や、ショッキングなことがあるとすぐに卒倒したという光景を映画や本などで見たことがあると思います。何故、意識を失って倒れたのでしょうか。それはその当時のファッションにも関係しています。コルセットが欠かせなかった時代です。夜会へ行く時などは身体をコルセットで締め上げなければなりません。その当時の女性はコルセットの苦しさと、蝋燭の火からくる暑さと二酸化炭素による酸欠状態で気を失う女性が多かったようです。本当に気を失う女性が多い中、わざと演技で倒れる女性もいたようです。紳士たるや倒れた女性は守るべき存在である時代だったのです。女性の失神は恋の始まりとなることもあるのです。まさにそのきっかけの演出に一役買ったのが、ヴィネグレットです。紳士が隠し持っていたペンダントのような容器を身に着け、その蓋を開けると、酢酸や強い香料などが綿や海綿等に浸み込ませてあって、香りを倒れた女性の鼻に近づけ、正気を取り戻すように嗅がせたのです。このヴィネグレットは女性も携帯し、その当時の街に漂う悪臭や気分が悪くなったときなどの対策にも使用したようです。

ヴィネグレットは銀製やガラス製のものなどがあり、女性と男性が持つことにより、デザインは色々なものがあります。

ヴィネグレットの出現とコルセット

19世紀ヴィクリア朝時代になると、階級を問わずコルセットが普及しました。また、フランスでも1820年〜1840年にかけて、コルセットが復活しました。パリでは社交界が隆盛を極めます。ヨーロッパ全体のブルジョワジーも貴族的な生活にあこがれます。この時代の女性は弱々しさがあるのが由とされた時代で、まさにヴィネグレットが広まった時代でもあります。健康より美を優先する女性たちの姿は、今も昔も変わりがないようです。現在、アンティークショップ等で販売されているヴィネグレットの殆どは19世紀の初めから、19世紀の終わりごろまでに作られたものだと思われます。やがて、コルセットの時代も終わりを告げます。コルセットの弊害が言われるようになり、きつく絞られた身体は内臓や肋骨が変形したりしました。貴婦人が気絶したり、引き付けを起こしたり、病弱だったのもこの要因が関与していると思われます。

ウエストのラインを支配していたコルセットを外すファッションを提案したのが、クチュールのメゾンでは初めての香水「ロジーヌ(Rosine)」を発表した、ポール ポワレ(Paul Poiret:1879〜1944)でした。ポワレはウエストの位置を上げ、緩やかなシルエットを打ち出しました。高いウエストの位置から布をドレープ(drape:衣類などを優雅にまとわせるという意味。ゆったりとしたひだを入れたり、自然にできた布のたるみで、シルエットをより優美に見せる。ドレスなどに用いられる)させ、布の曲線の美しさを表現しました。これが長く主流であったコルセットからの解放のきっかけになったと言われています。今でも歴史的に見ると、「脱コルセット」で女性解放者と称されるデザイナーと言われ、やがて、スキャパレリやシャネルのファッションに受け継がれていきます。もう二度とコルセットの時代はないと思われます。またそう願いたいと思うのは全世界の女性たちではないでしょうか。

残念なことにコルセットの時代も終わると、ヴィネグレットは姿を消していきます。

ヴィネグレットの歴史と用途

以前、東京庭園美術館(2010年9月18日〜11月28日)で開催された、『Perfume World きらめく装いの美 香水瓶の世界』の図録に、出展された

香水瓶とヴィネグレットが画像と共に製作年が載っています。全部で353点(香水瓶・ポスター・写真画像・化粧道具、香油壺、ヴィネグレット等)ありますが、そのうち3点しかヴィネグレットはありませんでした。この図録の中に出てくる一番古いものは1770年から1775年頃にオーストリア ウイーン(サイモングリュンワルド作)となっています。(七宝製) 

1850年頃(イギリスまたはフランス)となっている銀製のものと、1880年頃でガラス製のものが載っています。実際にヴィネグレットが作られたのは18世紀後期頃から20世紀の初頭頃位と思われます。他にもジュエリーの一部としてリング、ブレスレット、シャトレーヌ(ベルトに差し込むフック部とそれから吊り下がる複数のチェーンとで構成されるジュエリーの事)で使用されました。

気付け薬としての使命と時代

ヴィネグレットは装飾品としても究極ですが、気付け薬の方はというと酢酸が使用されたようですが、塩化アンモニウム等の結晶も使用されました。機能的な言い方として、Sels volatils anglais (仏語)という言い方もありますが、直訳するとイギリスの揮発性の塩ということになるようですが、香りを付けた塩の風習のようなものがイギリスからフランスへと伝わったのではないかと思われます。

ヴィネグレットというと綿や海綿などに、酢酸や塩化アンモニウム等を含ませ、更に天然の香料を浸み込ませたものが一般的と思われます。酢酸や塩化アンモニウム等のにおいだけでは強烈過ぎるので、それを緩和するために天然香料も使用されたようですが、その香料が何であったかは推測の域を出ませんが、その当時の調香師も調香に一役買っていま(洒落です)。

この時代というのはフレグランスが天然香料の時代から合成香料が配合される転換時期でもあり、現代フレグランスの時代への丁度狭間の時代でもあるのです。王家や貴族のお抱え調香師からフレグランス産業への調香師に移っていく時代でもあったのです。現代フレグランスが生まれてきた時、ヴィネグレットの使命は終わりを告げたのです。

時代は20世紀へ、ファッションもフレグランスも女性を解放へと導いたのです。

 

画像での紹介

三個のヴィネグレットを画像でご紹介します。ヴィネグレットは香りを嗅ぐため外蓋を開けて使用します。蓋を開けた時に見える内蓋の美しい透かしが魅力で、透かしの内蓋も開きます。綿や海綿等が落たり、動かないように固定させるために、透かしがあり香りが、透かしを通って出るようになっています。外観の画像と中側と裏側の透かしの画像を載せました。

ヴィネグレット1.JPG

ヴィネグレット2.JPG

おわりに

洋の東西を問わず、特権階級の考えることは時として究極のものを作り、使用する事ですが、その時代が終わるとその使命は廃れていきます。丁子風炉然り、日本でも西洋でも今となっては大変貴重なアンティークとして、古美術商や個人のコレクター、博物館、美術館等しか見られないものとなってしまいました。また今回、取り上げたヴィネグレットも香り関連のものであることは興味深いことです。だからといって今の時代に甦らせるのはあくまでも実験体験で止めておくことも大事です。時代背景が今の時代とは全く合わないから、廃れていったのです。ただこういうものが、いつの時代にあって、どういう役目を果たしたのかということを知ることが、大切なのです。